ぼくがしあわせになるblog
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ドラえもんの違和感。

新しくなったドラえもんですが、


声優さんがかわって声が変わったのはしょうがないことだと思います。


しかし、昔ながらのアニメーションの色使いが


どぎつくなってしまって親近感がわかないというのが正直な感想です。


最近の傾向なんでしょうがドラえもんはおとなしい色を使って欲しかったです。


そして、ドラえもんやのびたのしゃべり口調も変わってしまったのは


残念でなりません。前はドラえも~んと甘えるようなのびたに対して


ドラえもんはちゃんと答えてくれましたよね。時には厳しく時にはやさしく、


しかし、新しいドラえもんは口調が変わり暖かさが感じられません。


特にのびた君のことをのびたと呼び捨てにするなんて信じられなかったです。


ちょっと悲しい思いをしました。


これから、変わっていくのか、それともこの新しいドラえもんで行くのか


分かりませんが、前はたまに子供に戻って見ていたドラえもんが


今回は暇があってももう観ることはないでしょう。


変わってしまうというのは悲しいことです。(良い風に変わればいいのですが…)

JRの事故と中国の反日デモ。

今日はちょっと重いテーマになってしまいます。


先日、兵庫の尼崎で事故がありました。


14年前にもJRで同じような事故があったそうです。


14年前の事故の時のJRの役員は1人しか残っていないそうです。


その当時の役員でもない人がJRを代表して謝罪に事故のあった家族のもとを訪れていました。


その当時のことは細かく分かるのでしょうか?


どういった気持ちで事故にあった家族に謝罪に行ったのでしょう?

(ぼくには良くわかりません)

中国の反日デモも同じように当時の日本の諸悪をよく分かる人が


何人いるんでしょう?どういった気持ちで謝罪をするのでしょう?


どうすれば、いいのでしょうか?


これはJRをかばっているわけではありません。


しかし、どうすればいいのか分かりません。


それと同時に事故に巻き込まれていない、ぼくは何をいっても


無責任な言葉になってしまいます。


何をすればみんながしあわせになれるんだろう?

UFOキャッチャーによるダメ男度。

最近UFOキャッチャーにはまっている。


こんなことを思った。


UFOキャッチャーは狙いを定めて人形を獲りにいく。


だけど、確実なものと不確実なものがある。


ぼくは確実なものだけを獲る、欲しい人形じゃなくても確実に取れたほうが嬉しいから


ここが問題だと思うんです。確実なものを狙うのではなく


不確実なものを狙える勇気をもった人がいい男の条件なんじゃないかって思うんです。


欲しいものを狙うという行為が男をカッコよくしてくれると思うんです。


欲しいものが取れたときの嬉しさは、別に欲しくないけど取れるから獲った。


というような嬉しさとは全然違いますよね^^。



「確実なものじゃないけど、欲しいものがあってそれを狙ってるという姿勢」



これがいい男の条件なんじゃないかなぁと思った、UFOキャッチャーつれづれです。

友達の大切さとUFOキャッチャー。

最近UFOキャッチャーに出会い。


今日も行ってきました。


ぼくが小学校4年生の時、カメレオンクラブというゲームソフトを


売っている店の前にUFOキャッチャーがありました。


よく友達といったもんです。


子供のころはお小遣いでUFOキャッチャーをしていたので


そうチャンスはありませんでした。


ぼくらは4人でやっきになって人形をとろうとろうとしていました。


順番でやっていたんですが、「俺あれ狙いね~」と当時流行っていた。


幽々白書のくらま?だったかな。を僕の友達はねらっていました。


しかしもうあと一回やれば取れるというところで友達はお金を無くしてしまいました。


そして、なんだったかな?お金を取りに家に帰ったのか、千円札をくずしにいったのか


忘れましたが、そのあいだにぼくがあと一回でとれそうなくらま(?)をとってしまったのです。


(子供のころはなんにも考えてなかったな~~)


帰ってきた友達はぼくを見てすっごく不機嫌になりました。(あたりまえですね)


くらま(?)の人形をあげるよといっても「いらない」と怒ってました。


みんなが不機嫌なまま家に帰ったのを憶えています。


いまはその友達とは離れてしまって連絡はとれません。


しかし、あのときごめんよ。とあやまりたいですね。


ということで、親しき仲にも礼儀ありですね。

なんでこんなストーリー?を・・・

なんでこんなミニミニストーリーを書いたんだろう??


まえ、寝る前になんとな~~く考えていた物語なんですけど・・・


なんとな~くはなんとな~くですね^^;。


ぼくはなんとな~く寝る前にたまにこういうことを思って寝たりするんです。


眠れない夜ってやつでしょうかね~~。


からだをめいっぱい使っていればなんにも考えずに


寝れるんでしょうけど・・・


うーん。


かなり文章能力をつけないと面白いストーリーなんて出来ませんね^^;。


分かってるつもりでもやってみてはじめてわかるこの微力さ・・・。です。

ニュージーランドの黄金ザル。

ニュージーランドのクック山に見渡せば海と街が見下ろせる絶景の丘がありました。


その丘は草は生えておらず土と岩で出来ているような丘です。


しかしそこには一本だけ枯れ木がありました。


 街には1匹だけサルが住んでいました。もちろん人に見つからないよう


そっとそっと、しかし街の人は気付いていました。


黄金の毛を持っているのでどんな裏路地にいても目立ってしまうのです。


気付いていても自分たちに危害を加えるわけでもないので、


街の人はその黄金ザルをほっておいたのです。


果物屋さんはサルだからバナナが好きだろうと思って


売れない腐りかけのバナナを分けようとサルに促していましたが


黄金ザルはバナナを食べないしもらいません。


しかしある年、桃(モモ)が果物屋に並ぶ季節になると、


1日3個モモを果物屋さんから盗んでいくようになったのです。


3個盗んでいくサルに街の人は怖いと恐れました。


果物屋さんも街の人も黄金ザルを捕まえようと思いました。


なんてサルだ!と怒っていたのです。


何度その黄金ザルは果物屋や街の人の目をかいくぐりモモを盗んだでしょう。


なにしろ、モモが店頭に並んだ時から毎日です。


モモが店頭に並ぶ前にはバナナも食べなかったくせにです。


捕まえる街の人は黄金ザルより頭が良いです。


3個モモを籠に入れてモモを取った瞬間に籠が閉まるという


罠を仕掛けました。案の定黄金ザルはその籠に捕まってしまうのです。


捕まった時黄金ザルのからだはとっても細かったのですが


街の人たちはちょっと気にしましたが、たいしたことじゃないと思い


黄金ザルを施設に送りました。


いつ?なにか悪いことをしたのか黄金ザルはわかりません。


しかし、街の人に嫌われているということは気付いていました。


虚しい、希望を失ったような瞳をまぶたにしまいこんで黄金ザルは


施設で安楽死させられてしまいました。


 クック山の丘の枯れ木はいつからでしょう?きれいな薄ピンク色


の花びらを舞い上がらせ今日は咲いています。


そこは人々が集い世界中の桜の名所の中でも


味のある名所として地球全土から


観光客が来ています。


クック山の下の街は観光収入で潤いました。


 今日も桜は咲いています。


モモが根っこの下の土に埋められています。


黄金ザルはモモを運んできました。


街の人の生活は豊かになりました。


モモが根っこの下の土に埋められています。


モモが根っこの下の土に埋められています。

からだを動かす・・・。

やっぱりからだを動かすっていいことですよね。


今日はからだを動かすことをしませんでした。


からだを動かすとこのブログでもいい話題とか提供できると思うんですけど・・・。


今日は何にもないですね~。


からだを動かせれば何でもいいと思うんです。


サッカーボールを持っていたら1人でも壁にぶつければいいですし、


野球ボールも同じことがいえますね~。


しごとをしていれば意識しなくてもからだを動かしているんですけど、


いま、しごとをしていないので、意識しないとからだを動かせません。


あたりまえのことですが、


からだを動かさず1日中ごろんとしていると何かが溜まってしまうんですよね。


専門的なことはわかりませんが、その何かが溜まって逆に疲れてしまうんです。


ほんっとに実感しています(反省です)。

だれにでも笑顔をふりまくのはもうやめよう。

ぼくはバイト先や学校などでも初対面の人とでも


話しながら笑いあえるのが善しだと思ってました。


例えばおもしろくなくてもとりあえず笑っておけば、


その場はなんとかうまくいったんです。


だけど問題は最初じゃなくて


その人と付き合う過程が大事なのだと今は思っています。


だから初対面で無理をしていい印象をあたえるよりも


初対面でわるい印象をあたえてもいいと思っています。無理をしなければ。


もちろん無理せずにいい印象を持つ人もいるでしょうし


その方がいいと思います。


しかしわるい印象をあたえてしまってもそれを


過程で変えていけばいいし、自分を無理に


その場の形に合わせて生きていくということは


あとで形があわないと痛みを自分が訴えるに違いありません。


少しづつ無理をしないように・・・でも・・・


無理をしなきゃいけない場面が多いなぁと近ごろ思っています。


だれにでも笑顔で接するのはもうやめようと


ぼくは少しづつ変えていきたいと思っています。

贈り物・・・

今日はゲームセンターに行ってきました。


ぼくはあまりゲームセンターに行きません。


今の今まで無駄な時間だなと思っていたからです。


しかし、ゲームセンターをうろついていると昔、少ないお小遣いを


出しながらやっていたUFOキャッチャーがありました。


昔を思い出してわくわくします(笑)。


懐かしいと思って昔鍛えたキネヅカで300円でミッキーマウスの人形を


2個取りました。それは、赤ちゃんのミッキーだったんです。もちろんそれを狙っていたのですが


赤ちゃんといえば2週間あまり前にいとこが女の子の赤ちゃんを産んだのを思い出しました。


そしてその家には3歳の男の子も。この二人にプレゼントしようかどうか迷いながら


家に帰りました。


贈り物って難しいと思うんです。


相手はいらないよそんなもの、と思っていてもこっちは好意であげていたり


そんなことが起こってくるならば、贈らない方が良いのではとも思ってしまいます。


これ要るかな?要らないかな?一回聞いてみるといいと思ったんですけど


聞いたらきっと向こうは要らないとも言えないと思うんです。


贈り物(今回の場合はそんな大げさなものではありませんが)を送る時は難しいです。

しあわせについて。

いやいやな顔をしながら働きに出かける人を結構見かけます。


ぼくの知り合いで30才の人なんですけど今農業をやってるんです。


毎日が楽しくて楽しくてしょうがないそうです。


その人は農業がとっても好きなんですね。ぼくもそういう仕事を見つけたいです。


「しあわせ」とはいったいなんでしょう?


みんなは分かっているのかな。


ぼくはぼんやりとしか分かりません。


もちろん個人個人によって「しあわせ」は変わって来るのかも知れません。


ぼくの想い描く「しあわせ」は


まず好きな仕事につくこと、好きな仕事を見つけるのも大変です。


その仕事はお金はそんなに多くはいらないんです。


自分が暮らしていける分だけ貰えれば。


そして、家族を持つということ。


今恋人はいませんが、好きな人が出来たらその人と結婚をし


こどもが生まれて、ぼくも妻も一緒に年老いていって


こどもは何人でも構いません。いつしかぼくと妻の手から巣立って行って


ぼくも妻も疲れているんですけど


どんなにつらい事でも平凡なことでもそれを繰り返し繰り返し経験していく。


なんかそんなぼんやりとした「しあわせ」のイメージを持っています。


これを実現するために少しづつでも近づくことをやっていきたいです。